統一教会の子育ての問題点
統一教会の子育ての問題について考えてみたいと思います。
統一教会に限った事では無いと思いますが、自分の体験から考えます。
似た環境の間では同様の傾向性はあると思います。
* 疑問 *
息子は中学生の時に不登校でした。
高校生の息子を見ていて思う事ですが、私から見ると結構恵まれた環境だと思うのですが、子供からすると不満が多いようです。
幼少のころからですが、食べ物を美味しいと言ってるのを見たことがありません。
ご飯が美味しいという感動があるだけでも楽しい時間があると思うのですが。
ご飯の味もわからなくなるほど、いつも憂鬱なのでしょうか。
同じ環境であっても幸福感を感じにくい状況だと思うのです。
どうしてなのでしょうか?
* 幸福感を感じないのは何故か *
理由の1つは世代の違いによる捉え方の違いはあるかもしれません。
恵まれた環境が当たり前のようになっていて、感謝の心が足りないというものです。
私自身は子供の頃、親からは昔は大変だった、今は贅沢だと言われたりしました。
親から見たら不満が多いと思ったのでしょう。
しかし、同じ世代の人でも、楽しそうな人とそうでない人がいるように思えます。
そういえば、先日読んだ『サピエンス全史』という本にも書いていましたが、幸福かどうかは結局はその人がどのように感じるかにかかっていて、幸福だと感じる事が出来る人は厳しい環境の中でも喜びを見つける事が出来て、逆の人はどんなに恵まれていても幸福を感じれないのだそうです。
*物が豊かな事が幸福感に繋がる訳ではない*
そう考えると、日本という安全で物質的に豊かな国で生まれたとしても本人の感じ方次第で幸福感を持てないという事があることになります。
少し受け入れ難い理屈ではありますが、実際に元気がないのですから、本人としては生きづらいのは間違いありません。
*育て方*
私は、物の感じ方や考え方を本人の力で簡単に変えられないとしたら、本人以外の力が働いたと考えられるのではないかと思います。
それが、親の影響すなわち親の考え方や育て方ではないかと思います。
自分の生き方が形になる前に受ける影響は大きいと思います。
ですから、良かれと思って育ててきたやり方の中に子供が幸福を感じるために良くない影響があったのではないかと思うのです。