見えないものを信じるデメリット
こんな事がありました。
子供の修練会があり、妻が参加を勧めていました。
そもそも子供から参加したいということ言うことはないし、勧められても乗り気ではない様子です。
では、何故勧めるのかといえば、親の考えでしょうが、子供の反応が悪くでも次のように考える癖があるかもしれません。
参加したくないのは本人の考えではなく、悪霊にそう思わされている。
目の前の現象を受け止めないで、理屈でねじ曲げてしまいます。
もしかしたら本心では、子供が参加したくない事をわかっているのに、参加した方が良いという教会側目線の方向性を正当化する為に、理屈で自分を誤魔化しているのではないかと思います。
何故そう思うかというとこれまで教会にいたときの私自身の考え方に照らし合わせて考えているからです。
見えないものを信じるという事を好ましいとする考えを長く持っていました。
統一教会で学んだ事です。
神様、霊界、御先祖様、人の心などは見えないものです。
そしてまた、一般に大切にすべきものだとされているものです。
これには反発する事は難しいです。
良い面もあると思います。
しかし見えないものを信じる事による副作用があると思います。
見えないので物事の解釈が悪く働くこともあります。
現実から目を背けてしまう事によって、事態が悪くでも、このようにあるべきだという思いにしがみついてしまうことは事態を悪化させることになると思います。
二世が苦しんでいても、そこに向き合わないで、こうあるべきだと突き進んでしまう。
こういう面が、これまでの二世の問題や教会の問題を大きくしたと感じます。