教会で見かけた都合の良い解釈
統一教会の教えでは、どんな人も同じ神の子であるから、兄弟姉妹や父母や子供のように愛するべきだとなっています。
ところが、一方では、サタンには断固として立ち向かうべきだという考え方もあります。
例えば、イエス様がサタンに誘惑された時のように。
「サタンよ去れ!」のような感じで。
ですから、このような場面は例外で、相手がサタンであると認定した時は、敵意を向けて戦います。
サタンであるかどうかは、法律を違反したとか、犯罪をしたという観点だけではなく、
みことばに照らし合わせて、その人が決めるのだと思います。
また、サタンではなくても、
サタン=神様に反すもの
という考えから、相手の考えを否定する事を正当化するのとにつながるのではないでしょうか。
相手は、一方的に神様に反した考えだとレッテルを貼られると衝突する事になると思います。
そして、力関係でどちらかが強ければ、力でねじ伏せる事も出来るかもしれません。
許せ、愛せ、団結せよという言葉がありながら、場合によってはサタンを持ち出して、正義の名の下に、相手を攻撃することもある。
いやはや。