統一教会から逃げてきた男

長年通った教会を辞めて新たな生き方を模索しています

生きる喜びや素晴らしさを見つけていく

私は弱かったので、人に傷つくことも多かったように思います。愛を求めて統一教会に惹かれたのかもしれません。

統一教会では、神の愛の素晴らしさや、霊界での永遠の世界の価値を伝える場合に、世俗的な喜びを否定する事がありました。

 

よく言われる言葉としては・・・

 

お金や地位、名誉を得たとしても虚しい、そのようなものは霊界まで持っていけない。

聖書のイエス様の言葉で、何を食べよう、何を着ようかと思い煩うな。

世の中には愛がない。

世の中の愛は不倫な愛で家庭が崩壊してきている。

 

もともと世の中が面白くないと思っているところに自分に都合の良い理論があったので、その通りだと納得していました。

 

そのような言葉を間に受けたせいか、世の中のものが、無駄に思えたり、軽くみたり、見下したりしていたと思います。

そのようにして、人を見下して優越感を味わいたかったのかもしれません。

 

しかし、最高の理想のみを価値視することで、周りのものが色あせて、いろんなことがつまらなく感じるようになったのではないかと思います。

 

今、統一教会を離れて、自分の心を改めて構築していく中で思うことは、日々の生活の中での一つ一つの出来事をもっと大切に、丁寧に気持ちで扱っていく生き方をしてくれば良かったと思います。

特に子供のことでは、原理的解釈で答えを出すとかではなく、子供の気持ちに寄り添うとか向き合うとかしていたら良かったと。

 

まあ、後悔しても仕方のない事だと思いますので、趣味や人間関係、食べること、世の中の出来事、仕事においても、これからでも悔いのない生き方をしたいと思う今日一日です。