統一教会から逃げてきた男

長年通った教会を辞めて新たな生き方を模索しています

無償の愛か?あるいは条件的な愛なのか。

統一教会の教えの幹には、真の愛というものがあります。

この世で一番高いレベルの愛だと思いました。

しかし振り返って考えてみると、どうもスッキリしない思いになります。

 

教会に通っていた頃、み言葉を読んだり、説教を聞いて、神様や真の父母様の素晴らしい愛の世界に心を奪われていきました。

自分には、とても理解する事が出来ない高いレベルの愛の世界であり、それを少しでもわかる自分になろうと努力していました。

自分には、愛がないと常日頃から思っていました。

その愛のみ言葉の世界と比較して、自分の心の中の醜い感情を感じていたからです。

人のためにとか言いながら自分のことしか考えられない私であると思いました。

 

今、お母様はよく責任を果たせと言われます。

責任を果たさなければ愛されるべきではないという脅迫があると感じます。

無条件でとんでもない恩恵を受けていると自覚しなさい、そして、責任を果たしなさいと言われます。

これは条件付きの愛ではないでしょうか。

 

み言葉によって神は愛であり、神に通じるものは愛があるという前提を作り、いつのまにか丸め込まれた感じがします。