統一教会から逃げてきた男

長年通った教会を辞めて新たな生き方を模索しています

改めて自分の弱さに気づいた

学生の頃、生きる意味が分からず苦しんでいた頃がありました。

力が出ない、やる気が出ない状況でした。

そんな時、統一原理に出会ったのです。

生きる意味を自分で見つける事が出来る人はいると思います。

でも私はそれが出来なかったのです。

自分で決めて、それに希望を持って、それを信じて生きる事は出来ませんでした。

自分で決めて、苦労があっても信じて進む事が出来たら素晴らしいと思います。

私は自分の考えに自信を持つ事が出来なかったのです。

それは学校など集団の中での不安や恐怖を感じたことも繋がっていたのではないかと思います。

私は生きる力、心が弱かったのだと思います。

 

統一原理に出会って、人生の意味と希望を与えられました。

幸せに至る道筋を、最短距離に出会えたと思いました。

原理が腑に落ちたのです。

私は弱かった、だから原理に出会って生き延びたと思います。

神様、真の父母という存在に守られて、そこに集う仲間、集団の中で、愛とか思いやりがあると信じて、その優しい集まりの中で安心を感じて頼って生きて来たのだと思います。

統一教会の中では、同じ教義、思想を持つ人たちの集まりなので、世の中ほどは自分の考えを否定されない環境になります。

言い換えると、教義に照らし合わせて物事を考えるので、教義に沿っている意見に合わせる方向に解決されます。

そういう心地よさに依存していました。

そういう環境に甘えて生きてきたのかもしれません。

 

一方、集団のリーダーは、そのような弱い人に生きる目標を与えて、希望を持たせています。

それと同時に、支配し、献金を出させるという構造ではないかと思います。

生きる力のない人を救っている事は事実であると思います。

宗教と悩める人は、お互いに依存しているのだと思います。

 

私は統一教会で過ごした長い年月を、とても無駄に過ごしたと思っていました。

でも今は、弱い自分が生きていくために必要だったと思います。

その長い長い年月を経て、ようやくこれからは、強く生きていこうと思える段階に来たということだと思います。

 

弱い自分を認めて、宗教の必要性を認めて、自分のこれまでの人生を認めて、仕切り直して進んでいきたいと思います。