統一教会から逃げてきた男

長年通った教会を辞めて新たな生き方を模索しています

人を見下す習慣

私が長い教会生活で身についた嫌な習慣ですが、自分でも気づかないうちに人を見下していたり、上から目線になっていると思う事があります。

そう思った時は、自己嫌悪になり、早く治さなくてはいけないと思います。

そもそも私にはコンプレックス、自信の無さがあり、人に対して優越感を持ちたい心があったのだと思います。

統一教会の原理という人々が知らない究極の原理、メシアを知っているという優越感、それを伝えるという優越感、そんなものに浸っていたのだと思います。

たとえ、それが真実だったとしても、ただ知っているだけなのに。

長い長い間、浸っていました。

それでは人間は成長しません。

しかし、見方を変えれば、それで生きてこれたのかもしれません。

一方で、心の中で優越感に浸りつつも、現実的な見方をするときには、統一教会が恥ずかしくて隠す事もあるのです。

私がなりたいのは、他人の価値も認めて尊敬出来て、自分の価値も認めて、堂々と生きれる人間です。

だから、人を見下した自分の心に気づいた時には、心を改めていきたいと思います。

今日がその1日にあたります。