統一教会から逃げてきた男

長年通った教会を辞めて新たな生き方を模索しています

人間の立派な行動とそうでない行動

人間とは様々だと思います。

人間の素晴らしく立派な行動とそうではない行動。

同じ人間でも様々なんだと、改めて思うことがあります。

 

今年の夏は、日本国内で災害がありました。

そのような時、自分の時間と労力を使ってボランティアをする人たち、寄付をする人たち、凄いなと思います。

なかなか真似出来ません。

どうしてそこまで出来るのだろうか?

 

一方では、信じられないような無慈悲な殺人事件が起こることがあります。

それも普段は、普通に暮らしているような人が。

どうしてそんな酷い事が出来るのだろうか。

 

どちらも同じ人間の仕業、もしかしたら、同じ人間が両方の経験を持つことがあるかもしれません。

例えば、警察官や看護師、教師など、世の中の為に役立つことを考えている方々も、人を傷つける事件を起こす可能性があると思います。

 

これって何なのだろうかと、今更ながら考える事があります。

 

私自身の中にも、憎しみがあると思います。

会社の同僚、学校の同級生、家族。

そういう気持ちをキチンと整理して生きていかなければと・・・

思います。

 

 

 

 

 

見えないものを信じるデメリット

こんな事がありました。

子供の修練会があり、妻が参加を勧めていました。

そもそも子供から参加したいということ言うことはないし、勧められても乗り気ではない様子です。

では、何故勧めるのかといえば、親の考えでしょうが、子供の反応が悪くでも次のように考える癖があるかもしれません。

参加したくないのは本人の考えではなく、悪霊にそう思わされている。

目の前の現象を受け止めないで、理屈でねじ曲げてしまいます。

もしかしたら本心では、子供が参加したくない事をわかっているのに、参加した方が良いという教会側目線の方向性を正当化する為に、理屈で自分を誤魔化しているのではないかと思います。

 

何故そう思うかというとこれまで教会にいたときの私自身の考え方に照らし合わせて考えているからです。

見えないものを信じるという事を好ましいとする考えを長く持っていました。

統一教会で学んだ事です。

神様、霊界、御先祖様、人の心などは見えないものです。

そしてまた、一般に大切にすべきものだとされているものです。

これには反発する事は難しいです。

良い面もあると思います。

 

しかし見えないものを信じる事による副作用があると思います。

見えないので物事の解釈が悪く働くこともあります。

現実から目を背けてしまう事によって、事態が悪くでも、このようにあるべきだという思いにしがみついてしまうことは事態を悪化させることになると思います。

二世が苦しんでいても、そこに向き合わないで、こうあるべきだと突き進んでしまう。

こういう面が、これまでの二世の問題や教会の問題を大きくしたと感じます。

 

読書 「本当の自分はどこにいる」

加藤諦三先生の本

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これからの自分の生き方を考えていく上で、気持ちを整理していくのに役立ちました。

特にこの本では、加藤諦三先生自身が学生時代に自分探しに悩んだ事も書いてあるところが嬉しかったです。

50歳を過ぎて、自分探しなんて考えている自分が恥ずかしい気持ちもありますが、腹をくくって人生の再構築をしていきたいと思います。

愛がある人?

統一教会ではこのような事をいう。

妻を愛し、子供を愛し、家族を愛し、氏族、民族、国家、世界を愛する。

そんな人になれと。

そんな生き方をしましょうと人に言う。

 

どうなんでしょうか?

妻を愛している、子供を愛している人格者の私が好きなのではないだろうか。

私はそんな素晴らしい人格なんだぞ!

と自分が愛されたいのではなかろうか。

 

私の心の奥にそんな気持ちがあったかもしれないと自問自答します。

平和な世界とは

以前は教会の教えに従い、このように思っていました。

神を中心とする人間関係、神を中心とする価値観でもって人類が一家族の世界になれば、戦争も無くなり平和な世界になる。

例えば夫婦、同じ価値観をもって、同じ方向に歩んで行く事が出来る幸せ。

教会では同じ理想を信じるもの同士、共に歩んで行く喜び。

そのようにあるべきだと思っていました。

 

しかし今、夫婦が違う考え方になるという現実となり、違う見方をするようになってきました。

環境は人間を変えますね。

 

いろんな考えを持った人が、一緒に暮らせる。

それが世界平和の始まりではないか?

と思うようになってきました。

違う考えの相手を認める、尊敬出来ることが平和に向かう一歩なのではないか。

統一教会の考え方は結局は、自分たちが正しいと思っており、相手を見下してしまう。

私の心の中にも、そのような思いがあったと思います。

真のお母様に何があるというのか

真のお母様は食口に責任を果たせと言われます。

私はそれが嫌です。

お母様は人生の教訓とかは語らないようです。

私が生きていく上で、困難にぶつかったり悩んだりしたときの指針になるような事は語られているでしょうか。

ただお母様はメシアだから尊いというだけです。

NHK 人類の誕生2を見た

NHK 人類の誕生2を見ました。

長い間、統一教会の教義中心で考えていたので、人間は神が創造した神の子であるという創造論が正しいという前提でしか考えられませんでした。

それは仕方がない事ではあったと思います。

思想を選んだわけですから。

今、そのあたりがフラットになっていく中で、NHKの人類の誕生、面白かったです。

第1回も見ました。

第2回目は、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスが同時期に存在する中で、より体の丈夫なネアンデルタール人が結果的に絶滅し、ホモ・サピエンスが生き残った経緯のお話でした。

その中で、ホモ・サピエンスの優位な能力はより大きな集団で連携、協力する事が出来る事でした。

この事実は、現代のいろんな事柄を考える上で参考になりました。

ホモ・サピエンスの強さは集団の力である事です。

スポーツ、戦争、災害救助、犯罪集団、いじめなど様々なところで人間の集団の力が発揮されているのだろうと思いました。

もう1つは、宗教の発生です。

目に見えないものを信じて、それを共有する事で連帯感が生まれる。

その連帯感が、助け合いを生み、危機を切り抜ける力になる。というお話でした。