自分に自信を持ちたかったのかもしれない
昨晩、ふと思いました。
私が何故統一教会の原理を信じたのかという理由は、自分に自信を持ちたかったのだろうと思います。
この世の中で、最も正しい真実を知っていること、自分の行動指針が正しいと思える根拠が欲しかったのかもしれません。
しかし何故、私は自信がなかったのだろうかということが良く分からないのです。
小さい時から自分よりも優れている人が羨ましかったり、勝ちたかったのかもしれません。
いつも自分と人を比較していたように思えます。
人から良く思われたい、愛されたいと思ったのかもしれません。
そんな事を思いながら、いくつになってもわからないことだらけだと思います。
また、一つ何かを感じながら、生きてこれた事が良かったと思える今日です。